発心の霊場を顧みて
お遍路さんは阿波路をたどってここまで来れば「発心の道場」の締めくくりです。
厄除けの石段は急だねぇ
厄除けの石段は急だねぇ
境内から、小さな日和佐の街並みが一望できます。
街並みは日和佐港へ連なり、その向こうは太平洋。ウミガメ産卵地の大浜海岸も近くです。
空海は19歳のころ四国の山で修行したといわれています。
「阿国大滝嶽に登り攀じ土州室戸崎に勤念す」と、空海は三教指帰に書いています。日和佐から室戸岬はいまでも険しい海岸線です。当時は陸の孤島だったようです。
「阿国大滝嶽に登り攀じ土州室戸崎に勤念す」と、空海は三教指帰に書いています。日和佐から室戸岬はいまでも険しい海岸線です。当時は陸の孤島だったようです。
阿波の国は四国遍路の入り口です。結願まであと65カ寺もあります。
まだまだ、初心者ですねぇ
ひとやすみ一休み。
阿国大滝嶽の修行で観た世界観は…。
イメージ写真(幻日)。
《おまけ》
空海が15歳のとき、出身地の讃岐から叔父の阿刀大足を頼って上京したのは延暦7(788)年です。桓武天皇が平城宮から長岡宮へ遷都宣言したのは延暦4年だから、その当時は新都造営の混乱期。長岡宮にある阿刀大足の居宅で入試学力を付けていたらしい。
たぶん、いまの向日市・鶏冠井町か上植野町辺りか。
奇しくも千二百年後にわたしが中学生時代を過ごした地域です。社会的な影響力は雲泥の差ですが、単純にうれしい気がします。