洛菜庵

古都の郊外、四季折々の散歩道です

発心の霊場を顧みて

お遍路さんは阿波路をたどってここまで来れば「発心の道場」の締めくくりです。
厄除けの石段は急だねぇ
 
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境内から、小さな日和佐の街並みが一望できます。
 
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街並みは日和佐港へ連なり、その向こうは太平洋。ウミガメ産卵地の大浜海岸も近くです。
 
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空海は19歳のころ四国の山で修行したといわれています。
阿国大滝嶽に登り攀じ土州室戸崎に勤念す」と、空海三教指帰に書いています。日和佐から室戸岬はいまでも険しい海岸線です。当時は陸の孤島だったようです。
 
司馬遼太郎は『空海の風景』を書くとき、空海が若いとき修行した日和佐を現地取材で訪れました。
四国霊場第二十三番札所・薬王寺に建つこの石碑はそれを記念したもののようです。

 
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後に四国霊場として密教を広めるアラフォー・空海ではなく、修行中の若い空海が通った日和佐です。
その23年後、唐から帰った空海真言密教嵯峨天皇の加護を得て国のメジャーに上らせました。
 
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空海が42歳のときここに薬師如来坐像を彫って本尊・根本祈願寺としました。
第二十三番札所・薬王寺。「発心の道場」の打ち上げ寺です。
阿波の国は四国遍路の入り口です。結願まであと65カ寺もあります。
まだまだ、初心者ですねぇ
ひとやすみ一休み。
 
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阿国大滝嶽の修行で観た世界観は…。
 
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イメージ写真(幻日)。
 

《おまけ》
空海が15歳のとき、出身地の讃岐から叔父の阿刀大足を頼って上京したのは延暦7(788)年です。桓武天皇平城宮から長岡宮へ遷都宣言したのは延暦4年だから、その当時は新都造営の混乱期。長岡宮にある阿刀大足の居宅で入試学力を付けていたらしい。
たぶん、いまの向日市・鶏冠井町か上植野町辺りか。
 
奇しくも千二百年後にわたしが中学生時代を過ごした地域です。社会的な影響力は雲泥の差ですが、単純にうれしい気がします。