洛菜庵

古都の郊外、四季折々の散歩道です

紫式部母子

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

紫式部は、いまの寺町通広小路かいわい、盧山寺あたりの邸宅で源氏物語を書いたらしい。いまは道路敷になっています。ここはいまの御所の東隣り。木陰の中、近所には名水「染井」の清水が湧き出ています。かつては邸宅横に旧賀茂川が流れ、豊かな水を湛えた井戸がいくつもあったそうです。


紫式部(25歳)は通い夫として藤原宣孝(49歳)と結婚します。翌年(999年)に賢子が誕生。その2年後に夫・宣孝は流行り病で亡くなります。傷心の紫式部は、賢子を育てながら執筆を始めることになります。
どこかに家を借りていて、そこでも執筆したことは「紫式部日記」に書かれています。

寺町通に面した盧山寺には紫式部母娘の歌碑が建っています。小倉百人一首57番と58番の歌です。

 めぐりあひて見しやそれともわかぬまに雲かくれにし夜半の月影 紫式部

 有馬山猪名の笹原かぜ吹けばいでそよ人を忘れやはする 大弍三位・賢子