洛菜庵

古都の郊外、四季折々の散歩道です

昔を想ふ

角宮神社(乙訓大明神)は継体天皇が建てた?

今年は継体天皇の弟国宮(おとくにのみや)遷都1500年の年とされています。 1500年前の西日本は古墳が現役だった時代です。 井ノ内車塚古墳(長岡京市井ノ内向井芝) ~継体天皇時代(約1500年前)の前方後円墳(部分発掘)~ このころは各地に大王(おおきみ)と呼ば…

古代の土木工事は…

石の造形です。 1300年以上経っても、しっかり残っているんだなぁ 明日香村の発掘現場です。 写真を整理…ずいぶん前に写したものです。 亀石って言わなければ、蛙石って呼ばれたかも。 中のお宝は盗掘されていて何も残っていません。 天文要素はあるのかしら…

木組み

400年の間に柱はシロアリに喰ばまれ、松の生木はひび割れて痛々しい姿。 なのに、なぜかほのぼのとする木組みです。何回も修復された跡に木造建築の親しみを感じる故かもしれません。 天守は西南戦争で焼かれて、風上だったこの櫓は火災を免れたらしい。お…

古墳の頂は三角点

古墳時代前期・4世紀に造られたという前方後円墳です。全長94メートル。 なんと、後円部の頂に二等三角点があります。標高69.41メートル。 付近は住宅街に囲まれた公園になっていて、雑木林はきれいに下刈りされています。 丘陵地にあって、桂川の河川敷よ…

源氏物語 ? の供養塔

この石塔は源氏物語の供養塔だそうです。 世の中いろいろな供養法があるようですね。 (京都・千本ゑんま堂で) …と、書いたのですが、違っていました。 お二人から、??コメントをいただいてからよく考えたら… 紫式部の供養塔のようです。 ごめんなさい。

紫式部母子

紫式部は、いまの寺町通広小路かいわい、盧山寺あたりの邸宅で源氏物語を書いたらしい。いまは道路敷になっています。ここはいまの御所の東隣り。木陰の中、近所には名水「染井」の清水が湧き出ています。かつては邸宅横に旧賀茂川が流れ、豊かな水を湛えた…

還来神社、大津市途中町

還来神社。「もどろきじんじゃ」と読みます。狛犬の傍らからそびえる大杉は高さ30メートル近く。梛や銀杏の大樹も威厳があります。 祀られているのは藤原旅子(たびこ)。旅子は桓武天皇の夫人で、淳和天皇のお母さん。藤原百川の長女でこのあたりで生まれ邸…

平城宮、大極殿復元

11月3日に、文化庁による平城宮・大極殿正殿の復元のようすが公開されました。古い文化財や史跡をそのまま置くのでなく、建設当時の作業を通して現場の心意気がじかに伝わる工夫が気に入りました。 ITだの経営合理化だのと、薄っぺらいいまの文明に比べて、…

平城宮、ススキの原

平城宮跡の史跡公園です。女帝・元明天皇が奈良に都を移したのは710年。都を造営するため雑木を切り、区画整備が進められていた頃は、このような草原だったのでしょう。大極殿から南に朱雀門がそびえ建っています。東に東大寺・大仏殿、二月堂が、ススキ原の…

二上山のサヌカイト

京都盆地の南西部(京都市と長岡京市の境界付近)で発掘された縄文晩期の遺跡の説明会がありました。発見された石器に使われていた原石(石核)である古銅輝石安山岩(サヌカイト)は、奈良県・二上山の産だそうです。3000年前に、すでに物流があったのですね。

縄文・竪穴住居跡

~3000年前は寒くなかったの ? 縄文晩期の竪穴住居跡が近畿で見つかるのは珍しいらしい。それも6棟見つかったとのこと。先の「都市計画道路が蘇える日」に続くすぐ東側の場所で発掘調査された結果説明会です。まだ農耕が始まる以前らしいけど、この辺りは地…

長岡京・一条大路跡

~1220年前の都市計画道路が蘇える日 長岡京・大極殿跡から真西へ1.5Km。この辺りは道路側溝のほか建物跡も発見されています。南北に通る西三坊坊間小路は8メートル幅で、現在の農道位置に一致します。1220年前に造られた長岡京の条坊は完成に近かったようで…