洛菜庵

古都の郊外、四季折々の散歩道です

平城宮、ススキの原

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 平城宮跡の史跡公園です。女帝・元明天皇が奈良に都を移したのは710年。都を造営するため雑木を切り、区画整備が進められていた頃は、このような草原だったのでしょう。大極殿から南に朱雀門がそびえ建っています。東に東大寺・大仏殿、二月堂が、ススキ原の彼方にあって存在感を持っています。
 当時の都市計画の街ができ、続く元正天皇聖武天皇になって天平文化が花開きます。

 752年に大仏開眼供養。東大寺の政治的な影響力が強くなってきます。孝謙淳仁、称徳、光仁、と短期皇位が継がれ、ついに784年、桓武天皇長岡京に遷都することを決断します。天皇の執務建物である朝堂院は、後の長岡京同様、ここでも東に第二朝堂院が設営されていました。朝堂院から東の高台に見える雄大な伽藍に、きっと、桓武天皇は圧迫感を覚えたに違いありません。

 ここで、ふと疑問。7世紀から8世紀には、推古、皇極、斉明、持統、元明、元正、孝謙称徳天皇と、いずれも奈良県域で女帝が即位されています。なんでだろ?